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ザックジャパンと2014

過去のW杯のうち、私が最も濃密に追いかけて過ごしたのが、2014年ブラジル大会です。

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ザックジャパンが始動した2010年8月、当時高校3年生だった私は、2010年南アフリカワールドカップの熱狂をそのまま引きずる形で日本代表への関心を高めていました。おそらく私以外の多くの日本人サッカーファンが同じ思いを持っていたのではないでしょうか。

その期待に応えるかのように、ザックジャパンは初陣となるアルゼンチンとの親善試合で勝利を収めます。南アフリカで準優勝に輝いたアルゼンチンを親善試合とはいえ下したという事実が、その後の日本代表の人気にも大きく影響したことでしょう。

その後、受験を終えて晴れて大学生となった私は、大学生活と並行してサッカー観戦にどっぷりとハマっていくことになります。夜勤バイト生活と欧州サッカー観戦の親和性は非常に高く、リーグ戦やチャンピオンズリーグの試合も追いかけるようになりました。またその頃には Twitter が急速に普及し、地上波で中継されている日本代表の試合を自分以外の日本中のサッカーファンが見ている、という状況が可視化され始めました。

ザックジャパンはといえば、2011年初頭のアジアカップで優勝、その後のアジア予選でも順調に勝利を重ねており、順風満帆の成績を収めていました。日常生活でもサッカーファンの友人とサッカーについて語り合いながら、当時の私にとっては自分史上もっとも心待ちにした大会、ブラジルW杯を迎えることになります。

ブラジルW杯で、ザックジャパンは緒戦のコートジボワール戦を落としました。本田圭佑のゴラッソで先制した瞬間、私は涙を流すほどに喜んだのを覚えていますが、その後に流れた嫌な空気と、ドログバが投入された瞬間の死の恐怖もまた、いまだに忘れられないでいます。

その後、ザックジャパンへの期待の高まりとそこから落胆するまでの流れはよく検証され、アタッキングなサッカーを目指し、理想を追求するだけでは世界と戦うことはできないことが確認されました。

その時期多くの日本人サッカーファンを虜にしたザックジャパン。応援していた人もその分だけ多いと思います。本大会の結果は散々なものではありましが、私がかつて最も心を寄せていた日本代表チームとして、今も記憶の中で輝き続けていることに変わりはありません。願わくは、それを上回る魅力を備えた新しい日本代表が登場することを祈るばかりです。