Una carta personal.

zerosant blog

「坊っちゃん」再読

中学2年生の頃に読んで以来、15年ぶりに夏目漱石の「坊っちゃん」を読みました。

当時は訳もわからず読んだ記憶があるばかりですが、こんなにおもしろい小説だったのかと驚いています。これを読んだ当時のことを思い出すと、国語の先生が読めと言うから読んだだけのことだったように記憶しています。同級生の秀才が読んでいたということも手伝ってか、当時ろくに読書をしていなかった私は、朝読書の時間に少しずつ読んでいました。これしきのページ数の本にしては随分と時間をかけてなんとか読み切ると、国語の先生に褒めてもらえました。なぜこれを読むと褒めてもらえるのか、当時はよく理解できていませんでしたが、今となっては中学生がこれを読むハードルの高さをなんとなく理解できる気がします。

中学生の自分は、坊っちゃんのような「親譲の無鉄砲」とは似ても似つかぬ人物でありました。しかし分別の怪しい年代だったと言うこともあり、坊っちゃんが作中で他人の行動や発言を理解できないことに共感していました。

今改めて読んでみると、赤シャツや野だのような人物が世にたくさん存在することは理解できます。だからこそ江戸っ子で気持ちのよい坊っちゃんの行動に爽快感を感じずにはいられません。

「いやなやつをぶっ飛ばす」という物語だというのは昔も今も変わりませんが、その捉え方はまるっきり違うものになっているように思います。当時の自分にとって、気に入らないやつをぶちのめして学校を去る姿はかっこよく映っており、憧れのような気持ちを抱いておりました。今では憧れというよりは、よくあいつらに一発食らわせてくれた、という賞賛というか、立ち上がって拍手を送りたくなるような気持ちになっています。

一文一文が面白く、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」ではじまる最初の章だけでも、その無鉄砲エピソードのひとつひとつがおかしくて、そうかと思うと人情めいたくだりが突然やってくるところも魅力であると思います。

もし読んだことがなければ、最初の一節だけでも読んでみてはいかがでしょうか。

www.kadokawa.co.jp